地域のまつりに宗教とお金の線引きをどうつけるか?自治会長として直面した秋まつりの現実

地域のまつりに宗教とお金の線引きをどうつけるか?自治会長として直面した秋まつりの現実
目次

はじめに~地域のまつりが抱える見えない問題

地域のまつりは、住民同士の交流を深め、世代を超えたつながりを生み出す大切な行事です。特に子どもたちにとっては、非日常のワクワクを体験できる貴重な機会であり、地域の大人たちにとっても「顔を合わせる」口実となる存在でしょう。しかし、表向きの華やかさの一方で、まつりの運営にはさまざまな課題や見えない問題が潜んでいます。

そのひとつが、まつりにかかる費用の扱いです。地域によっては、自治会費のなかから神事に関連する支出がなされていることがあります。神輿の運営、神社への奉納、神主への謝礼、祭壇や供物など、明らかに宗教的要素を含む支出に、自治会という「任意加入かつ公共性の高い団体」のお金が使われているケースがあるのです。

また、そうした支出についての会計報告が不十分だったり、どの団体にどのような名目で渡されているのかが不明瞭な場合もあります。「昔からそうしている」「みんな納得している」といった慣習で済まされてきた部分が、時代の変化とともに見直しを迫られています。

自治会のあり方や宗教との関係、そして住民が納得できる支出の透明性。まつりという地域文化を守りながらも、ガバナンスの観点から再考が必要な時代に来ているのではないでしょうか。

自治会長として直面した「秋まつり」の予算問題

神輿会に50万円?明細なき支出への違和感

自治会長として初めて迎えた秋、私は前年度の会計資料を見直す中で、まつり関連として「神輿会」への50万円の支出が行われていたことに気づきました。しかし驚いたのは、その使途の詳細が資料上に何も記されていなかったことです。誰に、何の目的で、どのように使われたのかがわからない支出に対し、一自治会長として大きな違和感を覚えました。これでは、住民の会費が適正に使われているのか確認のしようがありません。

総額80万円のまつり費用、そのうち半分が自治会費

地域で行われる秋のまつりには、毎年およそ80万円の費用がかかっていました。屋台、神輿、備品、雑費など多岐にわたる内容ですが、そのうちの約半分が自治会からの支出で賄われていたのです。まつりはたしかに地域行事ではあるものの、全住民が宗教的な意味合いを共有しているとは限りません。その費用の多くが自治会費から出ているという状況は、住民の多様性を考えると見過ごせない問題でした。

宗教活動と自治会活動の線引きに直面

さらに調べていく中で、豊橋市が発行している「自治会活動の手引き」において、「政治活動および宗教活動とは明確に分けること」と明記されていることを知りました。これは、自治会が公的な性質を帯びた任意団体である以上、信仰や思想に関わる活動へ直接的に関与することは適切ではないという考えに基づいています。これを踏まえ、従来のやり方を見直す必要があると強く感じたのです。

宗教行事と自治会運営・その線引きの難しさ

宗教行事と自治会運営・その線引きの難しさ

氏子=自治会員ではないという現実

地域でまつりを担ってきた「神輿会」や神社との関係を見直す中で、私は一つの矛盾に気づかされました。それは、「氏子」として神社を支える住民と、「自治会員」として自治の仕組みに参加している住民の範囲が必ずしも一致していないということです。神社と関わりのない家庭や、無宗教を貫く家庭も少なくない現代において、宗教行事の運営に自治会費を充てることが当然とは言えない状況になってきているのです。

まつりは地域のもの、神事は一部住民の信仰

私自身、まつりを単なる「宗教行事」とはとらえていません。むしろ、子ども神輿や模擬店、盆踊りなど、地域の住民が年に一度顔を合わせる貴重な機会であり、地域の文化として続けていく意義は大いにあると感じています。しかし一方で、神主による祝詞の奉上や、神社への奉納、御神酒やお供え物といった神事の部分は、信仰に基づく行為であり、すべての住民に共通の価値観ではありません。この境界をあいまいにしたままでは、自治会としての正当性に疑問が生じかねません。

公共性ある団体として求められる責任

自治会は、行政からの補助金や地域住民からの会費で成り立っている、公共性の高い任意団体です。そのため、運営には「誰が見ても納得できる」説明責任と公平性が求められます。特定の宗教行事に対して予算を充てる場合、その支出の妥当性を示すことが難しく、トラブルの火種にもなりかねません。私は自治会長として、宗教的な意味を持つ活動と、地域交流のための行事を明確に分けるべきだと判断しました。それは、地域の多様性を尊重し、誰もが安心して参加できるまつりのあり方を模索するための第一歩だったのです。

秋まつり実行委員会の立ち上げと住民寄付への転換

宗教色を薄め、住民主体で再構築

秋まつりの在り方に疑問を持った私はまつりの運営体制を抜本的に見直す決断をしました。自治会という公共性の高い団体が、宗教色を帯びた行事の主催者であることへの懸念から、新たに「秋まつり実行委員会」を立ち上げました。この委員会は、自治会とは別の住民主体の組織として構成し、宗教的儀式は神社や神輿会に任せる一方で、地域の交流や賑わいを生み出す催しは、実行委員会が中心となって企画・運営するという仕組みに切り替えました。

寄付による運営資金の確保

資金についても、従来の「自治会費からの支出」に頼るのではなく、地域住民からの自主的な寄付を募る方式に変更しました。その結果、約50万円が集まり、神輿の運行や道具の維持費、関連する装飾・運搬費といった、宗教儀式を含む部分の経費に充てられました。寄付は「強制」ではなく「自由意思」であり、氏子でない方や宗教的活動に関わりたくない方にも配慮した形となりました。

自治会からの補助は最小限、用途を明確化

自治会からの支出はゼロにはしませんでしたが、「補助金」という位置づけとし、用途を厳格に限定しました。具体的には以下の3点に絞りました。

  • 地域の子どもたちに配布するお菓子代
  • 模擬店で使用する景品用のおもちゃ代
  • 準備・運営に関わった地域住民への昼食代

これらはいずれも宗教的意味合いを伴わず、地域交流という自治会の本来の目的に合致する支出です。

組長会議での説明と承認、住民の納得感へ

支出にあたっては、金額と内訳を明記した資料を作成し、組長会議にて説明を行いました。会議では特に異論もなく、全会一致で承認を得ることができました。「見えるお金の使い方」が、住民の納得感と信頼につながったと感じています。透明性を担保することで、「まつり=誰かのため」ではなく「まつり=みんなのもの」へと、意識も少しずつ変わり始めました。

伝統を続けるには「納得の土台づくり」が必要

丸餅

「伝統だから」では続かない現実

地域で受け継がれてきた行事には、長年の慣習や敬意をもって接したいと思う一方で、「昔からやっているから」という理由だけでは、もはや住民の協力を得ることは難しくなってきています。少子高齢化やライフスタイルの多様化により、「自分とは関係のない行事にまでお金や時間を使いたくない」と考える人が増えているのも現実です。特に、宗教色が強く感じられる行事に対しては、参加そのものをためらう声もあります。こうしたなかで、ただ惰性で続けているだけでは、伝統そのものが形骸化してしまう危機にあります。

ガバナンスと透明性が地域の信頼をつくる

行事を維持していくためには、資金面・人的リソース面に加え、「納得できる仕組みづくり」が欠かせません。どこから、どれだけの費用が出ていて、それがどのように使われているのか。その過程をきちんと説明し、必要な決定は役員だけでなく住民を交えた場で行う。そんな姿勢こそが、自治会や実行委員会に対する信頼を生み出します。伝統を守るためには、精神論や義務感ではなく、「見える運営」が不可欠なのです。

次世代や未加入世帯との新たな接点に

現在の地域社会では、自治会に加入していない世帯も少なくありません。また、若い世代はまちづくりへの参加意識が希薄だとされがちですが、彼らが無関心なのではなく、「参加の仕方がわからない」「仕組みに納得できない」という理由で距離を置いている場合も多いのです。そこで重要になるのが、透明で公平な仕組みづくりと情報の“見える化”です。たとえば、寄付の目的と使途を丁寧に説明する、実行委員会の構成員を公募する、といった工夫を通じて、少しずつでも新たな参加の入り口を広げることができます。

行事の継続には、単に「続けること」が目的になるのではなく、「どう続けていくか」を地域で共有することが必要です。納得感のある基盤づくりこそが、伝統を未来につなぐ鍵になると私は感じています。

終わりに~これからの地域まつりのかたち

自治会長としての2年間、私は「継承と改革」の間で常に揺れていました。秋まつりのような地域の伝統行事には、多くの人々の思い出や誇りが詰まっています。簡単にやめることはできないし、やめるべきでもない。ただ、そのまま続けることが本当に「地域のため」になるのかという問いから逃げてはならないとも感じていました。

特に、宗教性を帯びた要素と自治会の公共性との関係は、これまであいまいにされてきた部分でした。しかし、時代が変わり、価値観が多様化する中で、従来の「当然」が通用しなくなっているのは事実です。今必要なのは、「無関心」だから続けられないのではなく、「納得できないから協力できない」という声に、自治会としてどう向き合うかという姿勢です。

まつりは特定の人のためではなく、地域全体のために行うものです。だからこそ、誰が見ても納得できる運営と、説明責任を果たす仕組みが欠かせません。お金の出所、使い道、人選の透明性を高め、「参加してよかった」「支えてよかった」と思ってもらえる環境を整えること。それが、まつりを続けること以上に、未来へつなぐことになると信じています。

伝統とは、ただ守るものではなく、地域に合ったかたちに進化させながら残していくもの。これからも地域の皆さんと対話を重ねながら、「みんなでつくるまつり」のあり方を模索していきたい。そう思いながら、私は自治会長としての任期を終えました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

Katsuyuki Susakiのアバター Katsuyuki Susaki 自治会長・ウェブ屋

当サイトの管理人です。2022年度に組長が回ってくるタイミングで自治会長をやる羽目になりました。500世帯位の自治会で試行錯誤しながら理不尽な要望も聞きながら何とかやっています。そんな僕が自治会長をやって気付いたこと、今後の自治会運営についての考えなどを記事にしています。本業はフリーランスのウェブ屋。1965年製。空いた時間には愛車ヤマハボルトで遊んでいます。

コメント

コメントする

目次